2015年5月13日水曜日

富澤 克美(特任教授): 大学を「卒業」します。

※後援会報  49号(2015.1/23発行) 転載記事


よよとおす いくよの仕事かつがつに
焔の如きもの みしかとも思う
 (五島 茂)

大学入学以来、3つのキャンパスを渡り歩き、その間2度の海外留学(研修)を挟んで65歳になった現在に至るまで、他の社会を知らずにずっと大学という狭い空間の中で生きてきました。住み馴
れた大学生活が終わりを迎えるのですから、やはり「卒業」というべきでしょう。さらに言えば、約20年間継続した研究をまとめ、2011年5月に『アメリカ労使関係の精神史―階級道徳と経営プロフェッショナリズム』(木鐸社)を出版しましたので、卒業論文もきちんと書いたと胸を張れます。その意味でも卒業要件を満たしています。「無頼の徒」である私も卒業できるというものです。


「論文を書かなければならない」という強迫観念をいつも抱えて過ごしてきました。しかし「論文」を活字にできたときに得られる達成感は他の何物にも代え難く、一度味わうと癖になります。その達成感を味わいたいために論文を書き続けたのかもしれません。「類は友を呼ぶ」と言いますが、似た者はあちこちの大学キャンパスにいるようで、互いの研究を「貶し貶され」する「無頼の」仲間をもつことができたのは大学生活で最も嬉しいできごとです。

拙著の「あとがき」で私は、「『商学論集』(福島大学経済学会)がなければ本書は生まれ得なかった。自由な論文発表の場であると同時に鍛錬の場でもあった『商学論集』を通して諸先輩から多くのことを学んだ」と書きました。福大・経済にはかつて「経済史・学史のメッカ」との世評がありましたが、それは『商学論集』によってつくられたものです。福大・経済は、'old timer' たちにとって、いまでも「憧れ」の存在なのです。つい最近も85歳になる同門の大先輩からそのことを伺い、『商学論集』を大切にするようにと諭されました。(ちなみにこの先輩は今夏、3冊目となる専門書を公刊しました。見習いたいものです。)『商学論集』はそんじょそこらの学会誌よりもはるかにprestigious だったのです。私はほとんどの論文を『商学論集』に発表したのですが、見ず知らずの研究者から突然共同研究の誘いが舞い込むという僥倖に幾度か恵まれました。学位を取得できたのも、出版できたのも『商学論集』があったからです。

福大・経済の良き伝統はtoleranceであると仰ったのは経済学史の泰斗、小林昇先生だったと思います。そのtoleranceを私ほど享受した人間はいないでしょう。これからも私のような「無頼の徒」を暖かく包み込むfacultyであることを切望しております。

そして『商学論集』を大切に守り育ててください。




(経済経営学類 特任教授, 富澤 克美)